hide Official Fan Club"JETS"会報Vol.3への寄稿文(全文) 最初からいきなり私事で恐縮なのだが、個人的事情により音楽業界から離れて一年余り、未だに悔やまれて ならないのが、hideの葬儀に参列できなかった事である。無念だ。 それだけに今回、遅ればせながらもこうして追悼の想いを書く場を貰えたのが本当に嬉しくてしょうがない。 本当に嬉しいです。涙がこぼれます。 そもそも因縁めいたものが実は、ある。訃報を聞いた時の私は、恥ずかしながら自殺未遂をしたあげくの 神経衰弱状態にあった。で、なにしろ報道が「hide自殺」一色だったので、よりいっそう私の心は海の底まで 沈みまくったのを覚えている。「おまえ、そりゃねえだろぉ」と。 私とhideの出逢いは、Xメジャー・デビューの時に遡る。最初はYOSHIKIの圧倒的な「想い込み」の激しさが 可笑しくてXを取材していたのだが、そのうちにhideという男の「所詮自分は単なる ロック・ファン」的体質に興味を惹かれるようになった。 日本のミュージシャン達は、良い意味でも悪い意味でも自分が「アーティスト」である事に非常にこだわる。 勿論、洋楽コンプレックスや「歌謡曲やニューミュージックじゃないよロックだぜ」的な被害差別意識の 裏返しが彼らをそうさせるわけだが、それが却って裏目に出て「アーティスト様でござい」的勘違い地獄に 陥らせたりもする。ところがhideの場合、「自分がどうすればファンの子達が喜ぶか」を常に考えていた。 というか、それがこの男の原動力であり全てであり唯一のアイデンティティーだったのだ。 こう書いちゃうと、まるでファンに迎合してる軟弱野郎に捉えられるかもしれないが、そうではない。 hideにとっての「ファン」とは、かつて「KISS」に熱狂し小遣いでファンクラブにまで入って盛り上がってた、 洋楽ロックの一挙手一投足に心踊らせていたかつての自分、少年時代の「松本秀人」に他ならない。非常に ハードルが高いのである。 だからこそ、Xでもソロでもhideはファンを常にわくわくさせる「ロック・スター」で在り続けた。 「おまえこんな金と手間暇かけなくてもいいだろう」的ヴィジュアルも、「何でもありの刺激天国」的音楽性も、 原宿の店も、レーベルも、DJイベントも(←私も司会演ってあまりの濃密さに死にそうになりました)も全て 「俺がファンだったらきっと嬉しいな」精神の贈物なのだ。 新作作ってもライヴ演っても、hideが必ず私に訊いた言葉は決まっていた。 「皆、愉しんでくれるかなあ」 思えばhideとは、いろんな事ができた。 まだミュージシャン同士がよそよそしくて閉鎖的だった10年前の、私の勝手な「酒呑み」コーディネイトで BUCK-TICK 今井寿と対談し世間を驚かせたのを発端に、以降、大槻ケンヂ(笑)、小山田圭吾(!?)、 「絶対市川さんこのバンドいいよ」と勧めてくれたマッド・カプセル・マーケッツのTAKESHI、 真剣にユニット・デビューも考えた藤井麻輝等々、様々な異種格闘技対談を積極的に実現してくれた。 私がプロデュースしたISSAYのソロアルバムにも、ソロ・デビュー直前で超多忙だったにも拘らず、 一曲全面参加をしてくれた。 私のラジオにも、宴会気分で何度か登場しては盛り上がりまくっていた。 そしてそれよりも何よりも、膨大な回数の「酒呑み」を我々は繰り返してきたのだ。夜→深夜→早朝→昼………… わははは……………笑った暴れた話し込んだ……………殴り合いの喧嘩をした事もあった……………男同士で お互いのピアスを交換した事もあったな(苦笑)……………とにかく「あーでもないこーでもない」と真撃に ロック「ファン気質」を交換し続けた…………… そんな誠実で前向きな男が、自殺なんかするわけねえだろっ。 洒落のはずみで死んじまいやがって、この大馬鹿野郎っっ。 当時は、「自殺自殺」と勝手に騒ぎ、安直な追悼番組や特集を組んだTVや雑誌のマスコミを心底蔑んだ私 だったが、今改めて考えてみると、不本意ながらもロックスターとしては「最高」の終わり方をしたのかも しれない、と思えるようになってきた。世間をこれだけ騒がせたのだから。 だけど、だけどなあ、もう一緒に酒呑めねえじゃんかよぉ。 おそらく天国で「ごめんねごめんね」とファンの皆に今も謝り続けているであろうhideに、書きました。