音楽と人−1997年8月号 表紙:CORNELIUS 市川哲史の酒呑み日記−84 「あれー、呑んでねえぞお今月は、の巻」 4月26日土曜日。渋谷・居酒屋→同・ロック呑み屋(一見地味でも大量酒)。 先月号で詳報したビバ!!マーク・パンサー新宿トーク・ライブの打ち上げ酒 ――8時に待ち合わせするが、案の定「くまちゃん」阿久津達也が時間になっても 来ない。さすがヴォーカリスト唯我独尊……馬鹿野郎。 一番美味しいとこを達也の「熊をかぶった乱入」に持ってかれた松本宏幸は、朝まで プチプチ呑んでいた。一方達也は、呑めない酒を延々チビチビ嬉しそうになめていた。鬼。 5月2日金曜日。都内某所・居酒屋→同・藤井麻輝宅(どかーん酒)。 先月号巻頭特集の取材終了後、隆一は打ち合わせで離脱したが、私と藤井は彼ん家の 近所で呑む事にする。見るからに美味そうなおでん屋が満員なので泣く泣く断念、 隣の居酒屋その名も「女横綱」に入り、案の定撃沈する。しかし我々はどうしても 諦めきれず、結局おでんをテイクアウトして藤井の家で呑む。だが、この無機質で お洒落な部屋におでんは似合わんなあ。ちなみに深夜3時頃、exソフバ初代ドラマー+ 現医者の乱入もあって、嫌になるほど盛り上がって死んだ。 5月3日土曜日。原宿・串焼屋(哀しい祭日出勤酒)。 ザッツ・ゴールデンウイーク! ビクターがある原宿は観光客+買物客だ ら け ー!! 死 ぬ ほ ど 皆 愉 し そ ー!!! でも俺はCASCADEのTAMAの取材だあ!!!! ビクター 社内にも誰一人居なあーい!!!! あまりにも寂しく虚しいので、相談してせめて 気分を少しでも高揚させる為に、串焼屋で呑みながらインタヴューする事にする。 しかし男だけで盛り上がるはずもなく、僅か1時間半で帰る。チャリンコに乗って 去るTAMAの背中が泣いていた。くー。 5月14日水曜日(恒例、未遂酒)。 代々木第2体育館でGLAYのライヴを観て、編集部に戻る。締切だから仕方ない。 前日深夜TAKUROから(電話)あって「どーせまた誰も打ち上げやってくれないから、 自分で仕切るので来て下さいね」。予告通り、夜11時に再び(電話)。原稿を 終えてから行く事にするが、その後TAKUROの携帯に何度(電話)しても――出ない。 結局行く事が出来ず。翌日TAKUROより(電話)。「すいません、思うところあって 携帯(電話)持ち歩かない事にしたんです」。いちいち仰々しい男である。 6月6日金曜日(再び恒例、未遂酒)。 なんか連日ひたすら取材テンコ盛りで、しかも今後1カ月延々それが続くとの 事で既に死にかけてるJである。MCAの会議室で私が逢うなり、「市川さん、 酒ヤメた方がいいよお?俺呑んでる最中も次の日もいっつもバッドだったけど、 ロスが忙しくて呑む暇無くてそのままやめてたら、体調凄く良くてさあ」 「脱輪男のくせに酒やめるだあ?」。頭に来て夜呑む約束をしたが、(電話)は かかってこなかった。てめえ、この野郎、酒呑み道の風上にも置けない奴だなあ。