音楽と人 1995年5月号「L←→R」表紙 酒呑み日記 57 『旅芸人走る、の巻』 2月18日土曜日。渋谷・割烹居酒屋→同・バー(にごり酒2 後量不明でええじゃないか酒)。 六本木WAVEの1Fサ店で、GLAYのTAKURO+JIROで取材する。 インタビュー中、TAKUROが突如私の背後を緊張した面持ちで指すので振り向いたら、 ガラスの向こう側で橘いずみが満面の笑顔で踊っている。不気味である。 彼女が「電話するね(ハート)」であろう意味の、耳元に受話器を当てるジェスチャーをするので 私も同意して同じ動作をすると、私の後ろでTAKUROも同じ事を演っていた。 「おまえ面識あんの?」「いや全然無いんスけど→俺も電話欲しいなーと思って。」 若者はよくわからん。 取材終了後、浴びるほど呑む。TAKUROが例によって興奮している。 何でも彼の姉ちゃんが自分に相談も無く結婚を決め、しかも入籍前から同棲してる事に対して、 異常なまでに怒っているのだ。「冗談じゃないですよ。何の相談も無くですよ、失礼な」 「いいじゃん、本人同士が好き合ってんだから」とはJIRO。 「そんな俺の姉を何だと思ってるんだ」。おまえは父親じゃないっつーの。 2月23日木曜日(現地時間)。シェフィールド・インド料理屋(ほんの少し酒)。 ギグ終了後、プライベーツの面々と深夜メシを食う。食い終わってホテルに戻るともう3時、 朝8時にはホテルを発ちそのまま空港に直行というハード・スケジュールを控えていた私の頭の中には、 寝ることしかない。ところが連中はミーティングをした後に、 近所の田舎ディスコに呑みに行こうとうるさい。 延原は「久しぶりなんだからいいじゃん」の連呼だし、 手塚は「酒飲み日記のくせに。後で部屋に行くね」攻撃だ。 仕方ないので部屋に帰って本読んで待ってたのだが、5時になっても来ないので寝た。 ちなみに彼らは朝6時までミーティングしてたらしい。 馬鹿野郎。 3月6日月曜日。渋谷・割烹居酒屋→千歳烏山・パブ(にごり酒2本 ビール15 以下不明)。 取材終了後にISSAYと久々に呑む。BMGの製作課長も拉致してきたので、 今日は金の事は気にせずに呑もう。調子良く盛り上がってたら、 偶然にもTOSHIがやって来た。「あれ、いつ帰って来たんだ?」 「昨日。ライヴのリハと取材なんですよ」。 すると酔っ払った課長、「真面目に取材なんか受けてんなよ、ロッカーは」。 レコード会社の人間が何言ってんだ、おいおい。 呆然とするTOSHIをフォローするISSAYに、「お、たまには社会人らしい事も出来るじゃん」 と感心した私であった。 3月11日土曜日。福岡・居酒屋→同バー(日本酒とビールとジントニックと……不明!)。 リディアンモードとのトーク・ライヴ全国行脚の開幕だ。 前夜の深酒で飛行機乗り遅れ寸前で、一路熊本に。一発喋って福岡に移動、一泊。 明日は仙台に飛んで福島に移動→死ぬかもしれん。 福岡でSHIN−YA+TAGと呑む。 何故か給食の話で盛り上がり、あのコーヒー牛乳の粉末の名前が、 世代差や地域差を超越して「ミルメーク」だった事に一同驚く。 更には、私の目覚まし時計はドナルドダックが太鼓を叩きながら怒鳴るのだが、 TAGのは踊るミッキーマウスだそうだ。壊すぞ、なあ。