1994年6月 パート48 市川哲史の酒呑み日記(未遂) 3月17日木曜日。渋谷:割烹居酒屋→千歳烏山・パブ(ビール9 日本酒1升 その他)。 デルジベットのISSAYとムーンライダーズの鈴木慶一さんを引き合わせる為に、呑む。 詳報はおいおいお伝えしていくが、今秋リリース予定のISSAY初のソロアルバムを、 私と慶一さんタッグでプロデュースする事になり、その打合せ呑み会である。 内容の詳細はまだ秘密だが、市川人脈ミュージシャン軍団を投入する予定なのでお愉しみに― アルバムタイトルを何にするかで、やたら盛り上がる。『デカダン息子の帰還』とは私。 『パゾリーニ・ゴーゴー』とは慶一さん。あ、ISSAYが泣いてる。 3月29日火曜日。米LA・イザカヤ→同・シャケ宅(ビール6 日本酒5 バーボン1/4本)。 LA3泊毎日呑んではいたのだが、この日はCASINO外人部隊のオリヴィエ&ダレンとも 再会を果たし、日本食を無理矢理いろいろ食わせて愉しむ。 それでもダレンは何でも食っちゃうから、つまらない。その代わりというか、 仏出身オリヴィエが半泣きしてたので許す。 その後、厚見君の案内でストリップ見学に出かけた同伴者軍団をよそに、シャケの家で呑む。 「バカボン、俺世界一正しいロックの聴き方発明したんだよ」。ウォーターベッドに寝、 両耳の側にスピーカーを置き、真っ暗にしてツェッペリンやジミヘンを聴くのだ。 半分馬鹿にしながら試してみたのだけど、これがイイ。音の定位がはっきり特定出来るし、 リズムのブレやアンサンブルのズレがよく聴こえつつ、しかもそれが人間臭さを強力に主張するのだから、 私はロックと共に生きてきて本当に良かったと涙ぐんだのであった。 なお私を「バカボン」と呼べるのはシャケとユカイだけで、由来はバカボンの学校の先生に似てるからで、 決してバカボンに似てるわけではない。 4月8日金曜日。新宿・中華バー→同・バー→同・バー(ビール11 あとはえーと……ま、そういう事で酒)。 知人の紹介で、初対面のインディーズ・バンド「リディアン・モード」と呑む。 もうこの辺になってくると、私と10歳強も違う。しかも私の書いた原稿やライナーを 読んで育ってたりもするもんだから、どうも勝手が違う。とはいうものの、皆物凄く一所懸命 音楽演ってるので、またまた私はロックと共に生きてきて本当に良かったと、涙ぐんだのであった。 voのSHIN-YAが地蔵と化したので解散。少し苛め過ぎたか? つくづく親父化が進行してるな、俺。 4月10日日曜日。胸張って堂々宣言、「今日は未遂!!」。悦ぶなよそれくらいの事で。 今日はhideの横浜アリーナ公演。2日目。ツアー最終日―うーん、容易に結末が想像出来る。 とはいうものの、今月号はGW進行でマジで原稿書かんとヤバい。 終演後、全ての誘いを無視して全力で会社に帰る。ひたすら原稿書き。 夜1時、ホテルに移動して書こうと片付けてるとTEL。 「もしもしー、どうして来ないんですかー」、LUNA SEAのJである。 「SUGIZOも横で待ってますー」「hideさんもPATAさんも探してましたー」…… あー何も聴こえない。あー何も見えない。