91年3月号 rockin'on japan 市川哲史の「大でもない」酒呑み日記 20 新年早々内臓壊して申し訳ないの巻 いかん。非常に肝臓の調子がいかん。だから今月は休み---しかし先月号 95頁左段5行目に輝く、「(略)こうなったら2月16日発売の3月号で、 “さよなら1990年歳忘れ酒呑みヒットパレード・ゆく年くる年特集” 演ってやるからな。ははは。(略)」というフレーズを盾にされてしまっては、 もう逃れられない宿命なのである。鹿野、おめー俺はROの原稿書いて11年だよ。 度胸あるじゃなえかこの野郎。というわけで、今回はあまり酒を呑んでないので 許して下さい。なんで酒呑まなかったからっつって謝らにゃならんのだ、私は。 12月13日木曜日 六本木・パブ(不明) 12月14日金曜日 都内・今井宅(ビール・6 バーボン・1と1/2) 先月号の場外乱闘でもちらっと書いたが、12&13日は武道館ライブで 14日は櫻井取材とまさに大酒祭りだった特に13日の打ち上げ二次会はZIGGY の大山やマグミまでが狂乱し、私が深夜3時に到着したら既に今井は地蔵だった。 「市川さんが来てくれたんだぞ!」と桜井が必死に起こすも、地蔵は地蔵なのだ。 マグミが「30分だけ待ってやって下さい」と地蔵と庇う。優しい奴だなと 感動してたら、「今井が『30分経ったらどんな事してでも起こしてくれ』と 言ってましたから、徹底的に酷い目に遭わせてやりますよ。かかか。」 おお、良く見たらマグミの目は完全に座ってるわ。30分経過。マグミは 地蔵の股間に氷を滑らせて、ウェットな感触を施し始める。やがて地蔵が 「ぐぎゃあー!」と言いながら起床し、ぽつりぽつりと語り出した。 「ふと気づいたら股んとこが濡れてるから、心の中で『やっべえー』と思って」 ---その後今井は「失禁地蔵」もしくは「夢精地蔵」と呼称される羽目となった。 ような気がする。 私は早朝立ち去ったが、その後恵比須の屋台に場所を移して朝11時まで 呑み続け、14日夜7時に取材場所に現れた櫻井はマグミ宅から直行してきた のであった。なお今井は屋台で再び地蔵となり、ローディーの小嶋が 「死後硬直状態地蔵」を家まで運ぶ不幸に見舞われた。そして取材終了の 朝3時、すっかり自暴自棄になった櫻井と私は今井宅を急襲。結局今井の術中に ハマってるわ。この日今井が昔、“アナーキー君”と呼ばれてた事実が判明する。 中野駅で「おーいアナーキーくーん」と大声で呼び止められる今井は無論赤面 もんだが、恥ずかしさのあまりどうしても“アナーキー君”と呼ぶ事ができず、 みすみす今井が電車で走り行く姿を見送るしかなかった男は星野である。 ちなみに午前9時またまた地蔵と化した今井を見限った私と櫻井は、捨てゼリフと 共に通勤客で賑わう雑踏に姿を消した。誰だ、「さっき起きたばっかりだから 大丈夫スよ」とその時間働いてた我々を挑発してた奴は。ナメてんのかこら。 1月8日火曜日 武道館(ジンジャーエール) 明日ロンドン出発と言うのにSHOW-YA武道館ライブに行く。新年早々肝臓に 赤信号が灯ってはいたが、年末のtelで寺田恵子脱退事件の心労が滲み出てた 五十嵐を労ってあげたいし---私は死を覚悟すると、成田への足確保の為に 新宿にホテルをとり、楽屋へ赴いた。しかし五十嵐も私同様顔色が悪く、 偶然二人が手にしてたのはジンジャーエールであった。腹の底で宴会中止の 幸運を噛み締めながら退散しようとしたら、中村に通路の暗がりで呼び止められた。 突然tel番号を渡されたので興奮してると、「自宅にFAX入れたから、お勧めの プログレ名盤リスト送ってほしいなあ。お願い(はあと)」あのー。 1月12日=ロンドン時間 アカベラコート(バーボン沢山) ブランキーの英国録音取材中、60日間弱ずっと遊びもせずに生真面目に 仕事してた彼等が不憫で、「マーキー」に踊りに連れてったり宿舎で 呑んだりした。単なる悪魔の誘いか、私は。ドラムの達也はexスターリンに exスタークラブにex---と所謂「歩く日本のパンク史」な為か、酒呑むと ひたすら凶暴になってしまう。つい先日も部屋の英国調家具を叩き壊し、二代目 ヨシキを襲名する日も近いと思っていたのだが、次の日達也は木工ボンドを 買ってきて必死で復元したと言う。実際そのタンスは、どっから見ても 五体満足なタンスであった。直すなら壊すな。ヨシキへの道は遠い。 1月15日火曜日 都内アニイ宅(ビール・6 バーボン・2と1/2) 「場外乱闘」に書いた通り、この日の取材は14時間と言う人間生理を超越した 重労働であった。午前6時疲れ果てた私が帰り支度して放心状態で座ってると 山崎と鹿野が私の背後を指差して驚愕している。もはや改めて書く事もなく、 そこには今井がかしこまって座っていた。「何?」「いや別に」ニヘラニヘラ してんじゃねえ! 結局ワゴン車“バクチク号”に今井、アニイ、ユータと共に乗り込む。 ユータは挫折するも、「ウチで呑みますか」という珍しいアニイの勧誘に 全員恐縮しながら同意する。その時白いポルシェが突然伴走した。「櫻井ですよ」と、 もしかして暴力業界の人だったらと危機感を感じながらもサンルーフ開けて アニイが突っ立て頭を披露すると、パッシングしてポルシェが停まる。「よし、 ゼロヨン勝負だあ!」なぜか野生に戻った櫻井ポルシェが我々のワゴンを 置き去りにして、超加速で暴走してしまった。追いつけるわけねえだろ。その後 アニイんちでファミコンしながら盛り上がりまくり、昼の1時半に今井がまた 地蔵化し、櫻井と私はまたまた地蔵を運び出してタクシーへ放り込む羽目となった。 「このまま電信柱の根っこに捨てときましょうか?」「生き埋めにした方が 幸せなんじゃないか?」そして櫻井は自宅へ直行し、私は1時間後のスカンチ シマちゃんの取材の為に会社に向かったのであった。一生地蔵でいろ! 91年3月号 「場外乱闘」 本文中でも桜井が悲鳴を上げてたが、バクチクの1月2月は恐怖の大取材月刊だ。 「二勤一休」「1日2本」「深夜まで」という超可哀想な日程なのである。 特にJAPANは撮影もインタビューも業界一ハードなので---精神的にも肉体的にも--- レコード会社も考慮してこの日はJAPAN1本のみ、しかも翌日はオフという万全の 体制を敷いてきた。正しい措置である。しかし!誰も来ない。1時間半も遅刻 しやがって、やっと5人揃ったのは午後4時半だ。あまりにも暇なので、偶然 隣のスタジオで新譜のジャケット撮影してた盛り上がったぞこの野郎。今日は 撮影と平行して全員のインタビューを敢行せにゃならんのに、どーする? 夜2時頃まで懸かっても君達の責任だからね。わしゃ知らんもんね---と殿様気分 だったのだが、ぐわっっ、超完璧主義頑固職人型おまえは本当に外人かカメラマン ブルーノが、異常に作品の出来に執着して撮影が終わったのは朝6時という 圧倒的な悲劇的終末を迎えてしまった。何せ14時間もあったからインタビューなんか 1時には全部終わっちゃって、なーんもする事がない。突然腕立て伏せを始める アニイも不気味な男だが、ひたすらTVゲームに集中するユータと星野も怖い。 桜井は体を複雑に折り曲げて物置きの中で寝ている。今井は---お前は酒も呑んで ないのに何故おまえは地蔵に変身してるんだあ?なお今回アニイの髪型が 立ってんのと寝てるの2種類ある。「最近取材が多いんで時間もないし面倒くさいから 髪立てないんですよ」との理由によるものだが、あまりにも時間が有り余ったが 為に、もはや髪を立てる事ぐらいしかアニイにはやる事がないのであった。ああ。