ROCKIN'ON JAPAN 1991年1月号 市川哲史の酒呑み日記 18 SHIMA-CHANGより凡、の巻 UP BEAT&SCANCH 3ヶ月振りに通常スペースに生還出来た。 X単行本の大ヒットの影響かどうかは知らんが、 最近「酒呑み日記を単行本化してくれ」との声が爆発的に多い。 「全編書き下ろしで」という冷酷な要望も目立つ。 ああ肝臓が胃が腎臓が膵臓が。鬼。 11月6日火曜日 渋谷・寿司屋→居酒屋→広石宅(ビール15 ウイスキー14 日本酒6)。 またまた「編集部荒し」広石が来襲。今回は「単なる善人」 凡まで巻き込まれている。そればかりか、帰宅態勢に入ってた 怒髪一番岩見まで編集部から誘拐して、一路寿司屋に。 何故広石が岩見に執着するか――日本一の洋楽オタクを 自負する広石唯一のコンプレックスは、「パンクだけは理解 できん」。その屈辱を「生涯一パンクス」岩見をいたぶる事に よって解消しようという、遠大な野望なのだ。生真面目に パンク論争を闘わす2人を無視して、私と凡は幸せとは何か、 ほのぼの静かに語り合ったのだった。「今日は俺が奢る!」 と意地になる広石に甘えたのだが、なんとお勘定は4万円也。 2軒目で広石がぶちぶちぶちぶち愚痴をコボす。やがて 鞄の中から柿の種を取り出し、「岩見、あの寿司屋に復讐で 撒き散らしてやろうぜ!」と過激分子宣言を放つ。嫌がる岩見に 追撃の「それでもパンク魂があるのか!?」。その瞬間獣と化した 岩見と広石は、呆れる私と凡を残して寿司屋に突撃、柿の種と 共に短い青春を散らしていった。1時間後、襲撃された寿司屋の 前を通り過ぎたら足元でサク、サクと霜柱を踏むように柿の種の 潰れる音が、私の心に無常観を呼んだのだった。 ああ鐘が鳴る鐘が鳴る。 11月20日火曜日 仙台・割烹居酒屋→バー(ビール20 バーボン6) すかんちを追って仙台出張。スケジュールの関係上ライブ 終了後の打ち上げに乱入し、お祭り騒ぎのお座敷の片隅でひそひそ 寺西にインタヴューした。ところが取材を終え、さあ鍋だ生牡蠣だと ビールを一気にあおった次の瞬間――「じゃあお開きという事で」。 ぐぎゃぎゃぎゃぐおぐへ。可哀相だろ俺が。ソープに行こうと 執着する寺西を説得して2軒目に。田中も誘うと「今日腹が痛くて」。 小畑を誘うと「もう酒が足にきて、ああ」。そして大酒呑みの SHIMA-CHANGならば、と信頼と愛情を150%込めて誘うと、 「いやーはーはー」と踊りながらホテルに去ってしまった。 嫌われてるのは寺西なのか私なのか。 ソープだソープだあ!あ、金が無い。