ROCKIN'ON JAPAN 1990年7月号
市川哲史の酒呑み日記 12
妖怪館の宴、橘高文彦と今井寿の巻

 5月2日水曜日 青山・パブ→新宿・カフェバー→都内・今井宅
(もうわからない量の酒)。
 あははは。揃えてしまいました筋少とB-Tの看板ギタリストを。他の
音楽誌ならカラー8頁級の豪華企画を、僅か半ページで片づけてしまう
とこに酒呑み日記の醍醐味がある――のだろうか。単に私が世間
知らずなだけだったりして。
 まず今井が某誌の高橋幸宏との対談を終えて到着。珍しくグレている。
「俺三言しか喋れなかったんですよお、中華料理店で円卓だったから
沢山の人に注目されて緊張しちゃって。ああ!」小さい男だ。
「JAPANでもう一回演らせて下さい!」「中華料理店だったらいいよ」
「ひょえー」。やはり小さい男である。
 遅れて橘高文彦、これまた某誌の元デッドエンドのYOUとの対談を
終えて合流。なんと橘高と今井はほぼ初対面だという。この意外な事実の
原因を問うと、「だって俺が筋少に入ってすぐに、今井君やむに
やまれぬ事情で姿を消しちゃったから(笑)」「わはははは」。
笑ってる場合か、今井。
 何故か某音楽評論家の今井智子まで乱入しつつ、2軒目は筋少の
マネージャーの熱意溢れる誘いによって、橘高の所属事務所・PCMの
パーティーに合流した。会場の爽やかかつ華やかな雰囲気に、
「こんなパーティー開く金があったら給料上げろよな」。おおーっと
橘高文彦魂の叫びでありましょおかあ!そのうち酔っぱらったPCMの
デスクの女に、何故か私は絡まれまくり早々に退散。残るは恒例の
今井宅だ。悪夢のような夜だな全く。
 い、いかん。身体が地蔵に変身しつつある。過酷なロンドン取材
から帰国して、すぐ怒濤の残業地獄に遭遇――同情しては貰えませんね。
はい。未だに幸宏ショックを引きずってるのか、物静かな今井をよそに、
私と橘高は70年代名も知らぬハードロックの話で盛り上がる。
そしてそのままプロレスに何故か突入してしまった。4の字固めとアキレス腱
固めの応酬となった。他人の家に拘わらず一切無視して死闘を展開する
あまり、積み重ねられた膨大なCDの山を崩しまくる私達はXですかい?
深く反省し謝る私と橘高に、今井は穏やかに「いやいや」。
ひょっとしたら今井も深く静かに地蔵化が進行しているのだろうか。
 結局私が地蔵一番乗りを果たし、橘高は今井邸を去り、例によって翌朝
爽やかに目覚めた私であった。橘高君、帽子を忘れて帰りましたな。ふふ。
君も地蔵保存会の仲間入りだ。
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